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成田山圓能寺

歴史

成田山圓能寺は、室町時代末の元亀二年(1571年)、祐仙和尚によって開創されました。

元来は山号を海光山、院号を明王院と号しましたが、昭和二十七年(1952年)に成田山新勝寺(千葉県成田市)の直末寺院となり、以来、成田山圓能寺と号しています。 ご本尊不動明王は、小田原北条氏ゆかりの尊像とのいわれがあり、古来より身代わり不動として人々の信仰を集めています。

祐仙和尚が遷化されたのち一時は衰退におもむきますが、享保時代(1716-1735)に入り、第九世慧燈和尚によって繁栄を取りもどしました。 当時は天祖神社と日枝神社の別当を兼ね、また多摩川南北札所第三十一番として聖観音を奉安し、隆盛したと伝えられています。

現在も玉川八十八カ所第七十五番札所として、また正月や節分、お不動さまのご縁日の28日には多くの人々が集まり、変わらぬ賑わいをみせています。